母娘雑記帳‐つくば市・榊原動物病院発行

榊原動物病院の母娘獣医師の日常
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つづきと二段ベッドで眠る猫
こんにちは

先日、夫が魚釣りに行ってきました。夫曰くリールを回すのも重かったという大物のはずでしたが家族で食べてしまうと案外あっという間になくなってしまいました。なんとなく買っておいたお刺身もいっしょに並べるとまるでそれも釣ってきたかのようで華やかな食卓になりました。


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つづきです。

Listening to the language of apes

類人猿の声を聞く

http://www.bbc.com/news/magazine-32966907

声帯についての解剖学的発見は非常に興味深いものであった。チンパンジーと私たちののどには小さな違いしかなかった。それはまるでヒトののどのようであった。しかし、彼らはなぜ話しをできないのか?チンパンジーは奴隷にされることを恐れて黙っているという説まであった。

その後、タイソンの類人猿はイギリスのブリトルへ奴隷船に乗って連れて行かれ、ジンを飲むことやパイプを吸うことをおしえられた。ロンドンの両替所の入り口に座っているHappy Jerryという類人猿には絶大な人気がでて国王のお茶会にも招待されたほどであった。おかしな話しだが、Jerryはドレスを着てパイプを吸ったりして1970年代には紅茶の広告にもでていた。


参考写真



類人猿に関する私たちの見解は時間をかけて哲学や宗教、そして科学とともに進化し形質転換していった。
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17世紀は、神話や宗教、科学のあいだははっきりとしていなくて動物は生き物ではなく物として扱われていた。タイソンは、それは彼らが話しを出来ないからであると推論した。ストラスクライド大学で人文学を専攻するエリカ・ヒュージ氏は、「ヒトはほかの動物とは違うということに理由はあるが、それは身体的な違いではなく精神的な違いである。事実、チンパンジーの声帯があれば話せるはずである。」と言った。

われわれヒトは、他の動物とは異なっているという議論もあるが、いかに類人猿とヒトが近いかという追求は続いている。色々な意見がある。
R.Lガーナー氏はチンパンジーに言葉を教えようとした最初の人物のひとりであったが、それには限界があった。その後の研究でボノボ、チンパンジー、ゴリラ、オランウータンは言語を介して(ヒトと同じ方法ではないが)コミュニケーションをとることが出来ることが分かった。

生まれたばかりの赤ちゃんがいる家庭に同じく生まれたばかりのチンパンジーを一緒に育ててもらって、言語を話せるように訓練させるという試みが行われた。
チンパンジーの子どもは3歳までヒトの子どもと一緒にいたが、ほんの数語だけ発音は悪く発語するだけであった。同年代のヒトの子どもであれば100くらいの単語は話せるであろう。
明らかなのはチンパンジーは口や喉を使って私たちヒトのように声をだすことはできない。野生のチンパンジーは興奮したときのみ発声し、日々の生活では非言語コミュニケーションが重要になる。
これがアメリカ手話法(Ameslan;American version of sighning)を使っての研究に応用された。これが類人猿を理解するターニングポイントであった。チンパンジーはすぐに200の単語やフレーズを学び、さらに単語を合わせて新しい概念を伝えるようになった。たとえば有名なチンパンジーのワシュ―は池にいる白鳥を見て、水と鳥という手話を合わせることで自分で'名前‘を作った。

数十年をかけて私たちは独創的な方法でチンパンジーで実験をしている。70年代と80年代はチンパンジーの言語研究の黄金時代でした。チンパンジーは絵を見るとそれを表す文字のボタンを押すことで食べ物が与えられた。
Kanzi(注;ボノボのカンジ。ジョージア州立大学言語研究所にて多くの言葉を理解することが確認されたボノボ。)は単純な文章なら作ることができたし、彼がなにをしていたか。さらには将来的になにをしたいかについての文章を作ることができた。
これから類人猿はヒトをコピーしただけではないことがわかる。

前世紀ヒトは類人猿をジャングルの獣とみなしていたが、いまはインテリジェンスなコミュニケーションがとれる関係へと変化した。遺伝学的研究により、ヒトとチンパンジーはネズミなどより10倍以上も近縁であることが分かっている。タイソンのチンパンジーはフォークを使ったが、タイソンのベッドを汚すような'悪い行動’(bad behavior)もして、私たちを楽しませるようなこと、ぞっとさせるようなことを同時にした。この類似性だけでなく相違性が私たちにスリルを与えるのであろう。
類人猿の言語について謎は残るが、彼らがいかに私たちに近い存在であるかについての探求は続く。


■読んでみての感想■
話しをできない理由は声帯の位置のための説が有力なようです。それだけの違いなのか形態の些細と思われる違いは遺伝的相違としては大きいのか。。ではありますが。
記事では霊長類の言語研究の歴史がさらっと書かれていますが、彼らがヒトと近縁であるがゆえの扱われ方の問題。宗教、政治などの時代的なコンテクストに科学が影響を受けた歴史にも触れられていました。

記事には話す以外のツールでコミュニケーションをとった例が出てきました。
自分の意思を音声キーボードで伝えるボノボのカンジは有名です。また今回の記事に詳しくはでていませんが、手話を使うゴリラのココも有名だと思います。死の概念もあったと言われるココは「死ぬとどこにいくのか」と問われると「苦労のない 穴に さようなら」と答えたという話し。ココが可愛がっていた子猫がいて、その子猫が交通事故で死んでしまったことを伝えられたとき、ココが沈黙のあと「話したくない」と答えその後子猫への愛情や悲哀を手話で表し続けたエピソードが残っています。

↓ココ



チンパンジーのワショーは、彼女が慕っていた飼育員が妊娠するとそれを非常に喜び、飼育員のおなかに注意を払い手話でおなかの赤ちゃんの様子を聞いていました。この飼育員がある日突然仕事を休むと飼育員になぜ会いにこなかったかを彼女は手話で伝え、飼育員はワショーに「私の赤ちゃん死んだ」と流産していた旨を伝えるとワショーは手話で「泣く(cry)」「お願い ひと 抱きしめて(please person hug)」と伝えたというエピソードがあります。

これらのエピソードに関しての様々な見解の存在やガンジ、ワショー、ココがその種のなかで稀有な個体であった可能性はあると思いますが、この話しを知った時こころが大きく動かされた感じがしました。

生態や種により異なる身体構造に触れることも動物にひかれる理由ではあるのですが、やはり私は動物とコミュニケートすることがなにより好きです。コミュニケートできると楽しく嬉しい気持ちになりますが、同時に動物に接するうえで彼らの尊厳の維持というか、ひとの都合だけで彼らの身体や精神を拘束してしまうことがあってはいけないとはっとした思いになることもあります。
彼らの意思や感情、認知能力に接することで彼らが彼ららしく生きるための生存権のようなものを意識するのかもしれません。
ペットや家畜などはそもそも自然界とは異なる環境にいるという考え方があって、そうであったとしてもそのなかで彼ららしくいることに近い方法があるならばそれを選択できたらと思っています。








二段ベッド風

だらーん








 
| 娘雑記帳 | 14:59 | comments(0) | - |
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